2009年元旦礼拝のご案内

2009年 元旦礼拝

元旦の日、愛宕町教会では、早朝に元旦礼拝を行いました。
新しい年の初めに、まず教会で神の言葉に聴き、
励まされて一年を歩み始めて参りましょう。
元旦礼拝

1月1日(木)元旦 午前6時30分〜7時30分
説教「神の知恵」
北 紀吉牧師
聖書 コリントの信徒への手紙一 第1章18〜25節

聖書/コリントの信徒への手紙一 第1章18〜25節

1章<18節>十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。<19節>それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さを意味のないものにする。」<20節>知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。<21節>世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。<22節>ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、<23節>わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、<24節>ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。<25節>神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

一年の初めにこのように主の呼び出しを受けて礼拝を守り、神の家族として一年を始めることができる、今日は嬉しい日です。

2009年はプロテスタント日本伝道150年の年です。
 1859年(安政6年)、リギンス、ウィリアムズ、ヘボン、フルベッキ、ブラウン、シモンズといった米国宣教師たちが来日し、伝道活動を開始しました。
 1859年(安政6年)はペリーの来航に関係しますが、安政5年に日米就航条約が結ばれ、その条項の中にキリスト教の受け入れ、踏絵廃止の受け入れがありました。そのため多くの宣教師が入ってきたのです。政府が認める宣教であり、伝道は切れ目なく繋がっていきました。
 1846年に、イギリスで万国福音同盟の重要な会議が開かれ、世界伝道について、教派を超えて伝道するという協議がなされました。そのことがあって、超教派での日本伝道が行われたのです。その特徴は、礼拝を守り、聖書を読み、祈ることで、簡易信条(今の教団信仰告白)が用いられました。
 1871年には年の始めに初週祈祷会が、1864年の万国福音同盟の決議に基づき、若者の自主的な集まりによってなされました。敬虔な信仰でありました。「敬虔な信仰」、それが日本の教会の特徴なのです。

今、日本基督教団では、日本伝道150年を祝う準備会を持っております。なぜ150年を祝うのでしょうか。その理念は「福音の確信に堅く立つ」ことです。
 「キリストを伝える」、そのための聖句が今日の箇所です。「十字架の福音こそ中核である」ことを明確にすることだと考えております。創造信仰の欠如、混沌の状態から分離することです。日本基督教団は「創造信仰」が欠如していたと思います。「創造の業」は「救いの業」なのです。対話で妥協を図ることとは全く違います。伝道は、「福音を明確にすること」「御言葉が中心であること」を覚えたいと思います。

私どもは、救いに与ってこそ、罪が分るのです。「礼拝し、聖書を読み、祈る」それが「人間そのものを生きる」ということです。それなのに「神抜き」にやっていける思うことが「罪」なのです。
 「滅び」はどこにあるのでしょうか。罪(神抜き)を犯しているということは、滅びの内にあるということです。主イエス・キリストの十字架の贖いは、私どもの罪を終りとし、滅びから救ってくださる出来事なのです。
 人間の思いが支配するところでは、破綻が鮮やかになったにすぎません。人間の知恵では、自己実現・自らの利益の追求しかなく、神を知り得ず、救いはないのです。いかに人間の知恵は愚かしいものでしょうか。しかし、神は御子イエス・キリストを下さって、滅びゆく者の罪を終りにしてくださいました。それは、人間の知恵では考えられない、人間の知恵では愚かとしか思えないことです。しかし神は、為してくださいました。それが「主イエス・キリストの十字架の出来事」です。この「十字架」を信じ、受け入れる他はない。「十字架」を宣べ伝えるしかないのです。
 この世の救い=日本を救う・世界を救う、それは「十字架の言葉」にあるのです。

新春の祈祷会から、教会は始まりました。十字架の言葉に堅く立ち、祈り、礼拝する。十字架の言葉こそ、日本の曙です。