2008年 元旦礼拝 |
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元旦の日、愛宕町教会では、早朝に元旦礼拝を行います。
新しい年の初めに、まず教会で神の言葉に聴き、 励まされて一年を歩み始めて参りましょう。 |
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神を賛美することをもって、一年の始まりを感謝できることを喜びたいと思います。「喜び」それは、私どもが感謝を覚えることだと思います。 礼拝をもって始まる。神の赦しがあってこそ、私どもは集っているのです。神の呼び出しにより礼拝が成り立っている。神が私どもを呼び出し、神の御名を呼ぶことを良しとしてくださる、そこに神の働きを見るのです。一年の始まりに神の働きを見させていただいている、だから感謝なのです。 「日々悔い改め、感謝」ルターの言葉です。神へと向きなおり感謝することが私どもの生き方です。もともと日本人は「感謝」と言わず「御陰さまで有り難い」と言いました。その言葉は信仰の出来事があって言われていたことです。しかし今は不遜になっているのです。 礼拝において、私どもは「新しい創造」を見るのです。暗き夜から明るい光のもとへ導き出されているのです。神がいまさぬ世界は混沌の世界です。さまざまなことで空しさを感じ、格差社会においては、無気力・行き詰まりで混沌になってしまいます。 神の民とされた恵みに生きるということ、それはどういうことか。それは十字架の他に誇るものがあってはならないということです。十字架により裁かれるべき者が救いの恵みに与っている、それは罪の贖いがあるからです。神の救いの出来事に他なりません。罪の赦しに与ったキリスト者は、十字架をこそ誇りとするのです。 |
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