元旦礼拝/説教要旨です

2007年 元旦礼拝

元旦の日、愛宕町教会では、早朝に元旦礼拝を行います。
新しい年の初めに、まず教会で神の言葉に聴き、
励まされて一年を歩み始めて参りましょう。

説教要旨をUPしましたので、是非お読みください。
元旦礼拝

1月1日(月)元旦 午前6時30分〜7時30分
説教「第一の日である」
北 紀吉牧師
聖書 創世記 第1章1〜6節

第一の日である」 2007年元旦礼拝 2007年1月1日 
北 紀吉 牧師(聴者/清藤)
聖書/創世記 第1章1〜6節

1章<1節>初めに、神は天地を創造された。<2節>地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。<3節>神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。<4節>神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、<5節>光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

神を拝して一年を始めることを感謝します。

1節「初めに、神は天地を創造された」。「創造」とは「賛美の言葉」です。「信仰」とは「神を賛美すること」です。神より恵みの言葉をいただき、賛美をもって始めるのが礼拝です。
 この創り主なる神は、根拠です。拠り所(よりどころ)を持つという恵みのできごとです。礼拝は、神をよりどころにする恵みです。神への賛美に生きる、そこに信仰生活があります。ですから、神を賛美する者として生きているかが問われるのです。神の恵みをいただき、思い起こすこと、それが信仰生活です。
 「初めに」とは、時間的なことではありません。神が第一ということです。私どもは神第一ではない、自分中心です。神を崇めなくては神第一になりません。 御身大切では自分が第一なのです。
 聖書は「自分を超えた神がある」と語ります。まず「神の創造がある」というのです。聖書は賛美で始まっている、すなわち聖書は神を賛美する書です。「創造」は、すべての前提に「神の働き」があるのです。「救い」とは、そういうことです。私どもの働きに神が応えてくださるというのでなく、神がまず働いてくださり、私どもがそれにお応えするのです。神が私どもを「応える者」としてくださるのです。
 神が全てを創ってくださいました。すべてに存在の意味があります。すべてが意義ある貴いものです。神を根拠にしない限り、人は空しいのです。神が初めに私どもに働きかけてくださった、それは尊いことなのです。

2節「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」。いついかなる時に、私どもは混沌に遭うかわからない、そういう空しさを根底に持っていることを示しています。神の裁きのうちにあることを示しているのです。
 今日は神無き混沌の世界であります。例えば、子殺しなどの現実は、無秩序を生むのです。神の創造の御業を見い出せないと共同体性を失い、秩序無き状況を生むのです。神が働いてくださるからこそ、秩序を見い出すことができるのです。私どもは混沌になりかねない存在ですが、しかし神は働いてくださるのであり、そこに秩序を見い出し共同体を生むことができるということを、ここで覚えたいと思います。

神の働きはどのように成されるのでしょう。それが3節です。神が「光あれ」と言われて、光があったのです。御言葉です。神が、光なる御言葉をくださったということです。そこにまさに創造の御業、秩序が生まれるのです。み言葉によって麗しい存在になるのです。
 神の御言葉をいただくことは神の力をいただき、存在を新しく確かにすることです。私どもは、いつでも混沌になる、しかし御言葉によって新しくされるのです。御言葉をいただきつつ、存在を新たにし、生きるのです。

今年も、神の御言葉によって生きる歩みの一年でありたいと思います。