聖書のみことば/2012.7
2012年7月
毎週日曜日の礼拝の中で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。
よろしい。清くなれ」 7月第1主日礼拝 2012年7月1日 
北 紀吉 牧師(文責・聴者)
聖書/マルコによる福音書 第1章40〜45節

<40節>さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。<41節>イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、<42節>たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。<43節>イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、<44節>言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」<45節>しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

40節「さて、」と始まっております。これまでの続きではなく、2章につながっていくということです。

ここでは「重い皮膚病」と記されておりますが、「らい病」と記された版をお使いの方もおられると思います。「らい病」は差別用語とされ配慮あってのことですが、このように言葉を変えると、その内容も変わってしまいます。私は、敢えて「らい病」と言った方が良いのではないかと思っております。

彼は「イエスのところに来てひざまずいて願い、『御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』」と言うのです。「御心ならば」とは「御意志があるならば」という強い言葉が使われております。
 この部分には違和感があります。何故かと言いますと、らい病を患った人が、このように主の前に身を投げ出すかのように近づいて願い出るということは、当時、考えられないことだからです。今でこそこの病の感染性は弱いことが判っておりますが、接触感染ですので、当時は、らい病を患った人々は郊外に寄り添って暮らしました。つまり、共同体から疎外する、隔離する、それがその病に対する処置でした。律法の規定により、レビ記13章にありますが、彼らには「わたしは汚れた者」と呼ばわらなければならないことが義務付けられておりました。それは、人々が自分に近寄らないようにということです。

らい病を患うとは、いかなることでしょうか。不治の病、共同体からの疎外、隔離。どれほどの痛みを負うていたことでしょうか。当時、ラビたちは彼らのことを「生きながら死せる者」と言いました。らい病を癒すことは、死人を甦らせるのと同じくらい難しいと受け止めていたのです(復活を信じる人々は)。ですから思います。歴史がつい最近まで語ってきた「らい病」という病の悲惨さを「重い皮膚病」という言葉で表せるかと言うと、表すことはできないのです。
 そういう意味で、ただ単に言葉を変えることによっては誤魔化せない厳しい現実があるということを、私どもは覚えなければなりません。そして今なお、私どもの心の中に、この病に対する偏見があります。つい最近まで「らい予防法」によって戸籍を抹消され人権を奪われ、家族や社会との交わりを一切絶たれて隔離施設での生活を強いられてきた方々は、高齢化の中で、もはや日常を取り戻すことはできずに、今なお施設の中で暮らしておられます。残念なことです。どれほどの汚れとして社会から抹殺されてきたか、疎外されてきたことか。。。そこにある言い知れぬ、計り知れぬ悲しみを、私どもは思わなければなりません。

共同体が汚れ・死と定めた、その人が、律法の規定を破ってまで主イエスのもとに来てその身を投げ出してひざまずいている、これは尋常なことではありません。そして「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言うのです。その人の思いを知らなければなりません。抹殺され死とされている、一切の望みは失われている、まさに絶望の淵に立たされている。誰も自分に近づけないようにと、近づくことを拒まねばならない。それは一切の望みを持ち得ないあり方、それがらい病を患う人なのです。
 その彼が、身を投げ出して主イエスに願い出る、ここに「神を信じる信仰の豊かさ」を知らなければなりません。
 もし、神を知らないならばどうなるでしょうか。運命と思って諦めるのです。彼はなぜ、主の前に身を投げ出せたのか。それは「神を信じる」ことができたからです。運命と諦めたのでは投げ出せません。運命と諦め美しく生きるとは、日本人の感性ですが、これも神なき者の宗教です。諦めることも「神を信じない」という信仰のあり方なのです。
 しかし、彼は違います。何の望みもない、だから彼は知っているのです。もはや人の思いでは望みはなく、もはや「神しかない」ことを知っているのです。「神の御心であれば慰めを受ける」と信じているのです。人の望みの絶たれたところで、神に望みをおく、神こそが望みとなる。それが私どもキリスト者の信仰です。自分が虚しい時になお、神に望みがある。神を信じる者には「希望」があるのです。神こそ希望です。虚しさに徹することにしか慰めはないと考えてはなりません。

この人は絶望の淵にあります。命さえ認められていないのです。しかしそれでもなお、彼は、自らを投げ出す場を持っている。それは「神」なのです。主イエスに「神の力、神」を見ているのです。ここに彼の信仰があるとすれば、その信仰は「望みの尽きたところで神に一切を託する、神にすがる」という信仰です。
 そして「御心ならば」と、「神の御心に従う」という思いがあるのです。「あなた以外に希望はない」と言っているのです。

その彼を、主は深く憐れまれ「よろしい。清くなれ」と言ってくださいました。
 ここも解釈の難しいところです。「深く憐れみ」とは、主が「心を動かしてくださって」ということです。神は私どものことで「心を動かしてくださる方」、それが「神の憐れみの出来事」であり、それゆえに私どもは、神の憐れみを知って慰めを受けるのです。これは納得のできる解釈です。
 ところが聖書は、歴史の中で、この言葉を変えております。聖書はもともと写本ですから、手書きで写してきたものです。様々写本がある中で、ギリシャ語の古い写本では、ここを「深く憐れみ」とは記していないのです。そうではなくて「憤りに満ち溢れ」という言葉が使われております。現代の研究では、元々はこの「憤りに満ち溢れ」という言葉ではなかったかと言われております。
 主イエスは一体何に憤っておられるのか分らない、だから後の写本では「深く憐れみ」と書き替え、それが定本になったのではないか。歴史の変遷の中で聖書の定本も変わっている、それは、またこれからも変わる可能性はあるということでしょう。

ですから、この言葉を無視して、この所を語ることはできません。主イエスが彼の思いを受け止めて「憤りに満ちた」とは、すごいことです。一体何に憤っておられるのか。
 「律法」とは、本来「人を守るべきもの」として神から与えられたものです。にも拘らず、その律法が共同体から見捨てられた者を守るどころか、抹殺するものになっている、そのことを主は憤られたのではないでしょうか。しかし、当時の社会にあっては、共同体を守るためにはそうするしか術がなかった、どうすることもできなかったのです。だれが当時を糾弾できるでしょうか。だれにも出来ません。ただ主イエスのみ、憤ることがおできになる方です。憤る、それほどまでに、主イエスは悲しみ、愛おしんでおられるのです。病を負う者を愛おしむだけではない、病む者を疎外するしかない、そうせざるを得ない者に対してまでも、主は思いを注いでおられるのです。そうでしかない、そうするしかない者に心震わせてくださる、それが主の憤り、主のあり方であることが、ここに示されていることです。
 本気だから、主は怒っておられるのです。救いようがないから、主は憤っておられるのです。そして、主は救い難い者のために、裁きをご自身に負うてくださる。憤って、その者を裁くのではない。そうでしかない律法を、そうするしかない当時の人々に怒りを向け、その怒りを裁きとしてご自身に負うてくださる、それが「主イエス・キリストの十字架」なのです。
 ですから、この言葉はどれほどに深いことでしょうか。本当は、罪を罪として自覚できるところにしか救いはありません。しかし「ただ神の憐れみによって救われる」、そういう善なる思いが「憤りに満ちて」を「深く憐れみ」という言葉に変えたのだと思います。

主イエスは憤りに満ちて「手を差し伸べてその人に触れ」てくださいます。「わたしは汚れ。近寄らないでください」と呼ばわっている、その人に、主は自ら手を触れる。その手の温もりたるや、どれほどに大きいことでしょう。偏見を持つ私ども自身のことを思えば、その人に触れるということがどれ程に大きい出来事かを思います。
 主イエス・キリストは汚れを癒し、清める方です。私どもはどうでしょうか。私どもは、汚れに染まる者なのです。だから、触れられないのです。しかし、主イエスは「汚れを清める方」。私どもが主イエスを思い起こすとき、私どもは主に触れ、清められる。主が、汚れでしかない私どもに「触れていてくださる」ことを知るのです。

「清くなれ」という言葉は「わたしの意志だ、清くなれ」というのが直訳です。ここにも、主イエスの癒しの特徴があります。当時、病の癒しは宗教的な儀式によるものでした。しかし、主イエスの癒しは言葉のみ、「御言葉」によるのです。
 ここに、主イエスの御言葉の偉大さを知らなければなりません。主イエス・キリストの御言葉は、神の力として聖霊が働き、私どもに臨むのです。主の御言葉こそが人を清めるのだということを覚えなければなりません。

そして、今、私どもにも、その主の御言葉が臨んでいてくださるのです。

よろしい。清くなれ-2」 7月第2主日礼拝 2012年7月8日 
北 紀吉 牧師(文責・聴者)
聖書/マルコによる福音書 第1章40〜45節

<40節>さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。<41節>イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、<42節>たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。<43節>イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、<44節>言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」<45節>しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

先週は40節〜42節までで終わってしまいましたので、今日は43節以下から聴きたいと思います。

40節〜45節は一つの物語のように思いますが、前半の40節〜42節と後半の43節〜45節では、内容の中心点が違っております。前半は「癒し」が中心であり、後半は「誰にも話してはならない」ということが中心となるのです。
 主イエスはらい病人を癒してくださいました。話は、その「癒し」という事柄から、「話してはならない」という「主イエスの沈黙命令」に移っていきます。ですから、43節以降は「癒し」ということとは別の思いで聴かなければなりません。
 主イエスの「沈黙命令」は、ここで2度目です。一度目は悪霊に対して、ご自分のことを「神の聖者と言ってはならない」と命じられました。そしてここでは、癒された人に対して「癒されたことをしゃべってはならない」と命じられるのですが、やはりこの2度の沈黙命令も内容が違っております。悪霊は主イエスがどういうお方かを知っている、だから「黙れ」と言われる。ここでは、癒された人は主イエスがどういうお方かということを、真実には知らない、ゆえに「しゃべるな」と言われております。

そして、この主の「沈黙命令」のあり方そのものが異様です。まずはそこから聴かなければなりません。
 43節「イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して」とあります。癒されたその人は、どんなに喜んだことでしょうか。しかし、43節にそのことは語られておりません。主イエスはその人に、癒してくださった方を礼賛するいとまも与えずに、すぐに去らせようとします。「喜びを共にしたい」とは人の思いですが、主の思いは違うのです。

44節を読みますと、主がその人を立ち去らせる理由が分かります。「ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい」。実は癒されただけでは、事は終わっていないのです。らい病は、癒されただけでは、まだ「人として」生き返ったことにはならないのです。
 当時、らい病にかかることは、共同体から死の宣告を受けることでした。共同体全体を守るために、らい病人は共同体の交わりから追放され、町の外で暮らしたのです。共同体との交わりを断たせるということは、社会的な死を意味します。ここに言われていることは、「癒し」が即、社会復帰とはならないということです。まず「祭司に体を見せ」癒されたことを証明してもらい、次に「モーセが定めたものを清めのために献げて」と、献げものを献げての清めの儀式を必要としました。ですから、癒されたからと言って喜んでも、簡単に社会復帰できるわけではなかったのです。
 44節で、主イエスは、この人に、まず「社会復帰」するように言われております。清めの儀式については、レビ記14章に記されておりますが、その内容は細かく規定されており、簡単に癒しを証明できないことが分かります。らい病人の社会復帰はなかなか難しいのです。癒されても、すぐには共同体の親しい交わりに戻ることはできません。7日間の清めの儀式の後、衣を清め、全身の毛を剃り清め、献げものをして、ようやく8日目に戻れるのです。それ程に、らい病の完全な癒しとは大変なことでした。それは、らい病の癒しは、本来有り得ないことだったからでしょう。
 主イエスは、この人に、共同体への復帰を促すために命じておられます。共同体に戻ることによって、人は初めて「人」となるのです。ここに、主イエスの人に対する姿勢が示されます。人は「交わりの中でこそ人である」ということを、主は示してくださっているのです。もちろん、私どもは、人との交わり以上の交わり、「神との交わり」を必要とする者です。その根本があってこその、人と人との交わりなのです。

43節に「厳しく注意して」と記されております。これはどういう意味でしょうか。「厳しく注意する」ということは「話してはならない」ということの強調だと感じることでしょう。しかし、ここで用いられる言葉は「厳しい」という意味ではありません。「馬のように鼻を鳴らす、いななく」というのが直訳です。つまり、ご自分が癒したその人に対して、主イエスは「いら立って」おられるというニュアンスなのです。
 「いら立つ」ということは、どこかに怒りや憤りがあるということでしょう。ですから、「厳しい注意」ということでは意味が違います。訳によっては「叱りつけて」というものがありますが、この方が近いニュアンスかもしれません。

主イエスは「柔和な方、優しい方」と、私どもは勝手に思っております。しかし、ただ単に「優しい」ということでは、相手に対して本当に向き合っているかどうか、と思います。優しさは、関わり合おうとしないあり方でもあるのです。それは、優しさにおける罪深さです。ここはなかなか理解の難しい言葉であるゆえに、「厳しく注意して」と訳されたのでしょう。
 けれども、主イエスは、馬のように鼻を鳴らして、叱りつけて「だれにも、何も話さないように気をつけなさい」と命じておられるのですから、なぜそのように命じられたのかを考えなければなりません。ここには「厳しい注意」以上のことが語られているのです。

一体何を主イエスは怒って、憤っておられるのでしょうか。そしてそれは何を意味しているのでしょうか。
 一つには、らい病の人が共同体から、社会から追放され、人としての権利を剥奪されていることに対する怒りであるかも知れません。今の時代は、この当時と比べると「人権」ということを重んじますので、これはそういう観点での捉え方かもしれません。しかし当時は、個人の人権よりも共同体を守ることの方が大事だったはずです。ですから、このように捉えることは十分ではないでしょう。
 では、もう一つの観点は何か。主イエスは確かに「癒し」をなさいました。けれども、主は「癒しの業を宣伝するな」と言われているのです。主イエスは「癒し」そのものを拒んではおられません。癒してくださったのです。しかし「癒し」を宣伝して、売り物にしてはならないと言われているのです。「癒し」を売り物にすることに対する怒りを、主は持っておられるのではないでしょうか。
 ここで思わなければなりません。教会が主の業として社会的な事業に取り組むこと、そのことを主は拒んではおられない。けれども、教会がそれを売り物にすることは許されないのです。教会のなすべき業は、「主イエス・キリストの救いを宣べ伝える」ことであって、癒しを伝えることではないのです。教会は、社会の様々な出来事に心砕いて良い。しかしそれを売り物にしてはなりません。
 しかし、これも十分な観点とは言えません。もう一度、原点に戻りたいと思います。

40節で、このらい病の人は「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言いました。
 主イエスの来られた目的な何か。「人々を救うこと、罪から贖い出すこと」です。そうであれば、人々が主イエスに求めなければならないことは何でしょうか。「癒し」ではないのです。らい病の人は主イエスに「癒し」を求めました。しかし、人々が切実に求めるべきことは「罪からの救い」です。そのことを覚えておかなければなりません。ここに主イエスの憤りがあります。「罪からの救い、罪の贖い」をこそ、主に求めるべきなのに、人々は清め、癒しを求めてくる、そのことに主は憤っておられるのです。
 人々は、救いをこそ必要としているはずなのに、救いを求めず癒しを求める。それゆえに、主はいら立ちながら、叱られる。主イエスの中心にある切実な思いを思わなければなりません。主は「私どもが救われること」を切実に求めておられるのです。
 人々を罪から救う、そのために来たのに、人々は救いを求めずに癒しを求める。「あなたに必要なのは、癒しではなく、罪からの贖い、救いなのだよ」との切実な思いを、主イエスは持っておられるのです。
 主イエスは、人が切実に求めることを聞いてくださるお方です。私どもに真実に向かい合ってくださる、それが「叱る」ということです。そういう強い言葉によって、主の私どもに対するあり方が示されているのです。

主イエスほど真剣に、私どもの救いを願ってくださる方はいません。これほどまでに真剣に、私どもに向き合ってくださる方はいないのです。それがこの強い言葉に表されていることです。
 罪からの救いを切実に求めない私どもに対して、憤ってくださる主イエス。「あなたにこそ、救いが必要なのだよ」と真実に向き合ってくださる主イエス。真実に「人々の救いを望み見ていてくださる」からこその「主イエスの憤り」なのです。

主イエスは、苦しみを担ってまで、人の罪を贖うために十字架についてくださるお方です。私どもの救いのために憤っておられる、それゆえに、苦難をもいとわず十字架についてくださるのです。主イエスが真実に、私どもの救いを願ってくださっているがゆえに、私どもの救いがあるのです。
 主イエスがここで憤っておられるがゆえに、私どもの救いが成っているのです。「このわたしのために」、主が憤ってくださるのです。

ですから、「厳しく注意して」という言葉では、主の救いを聴き取ることはできません。主が憤っておられることを知るならば、救いを聴くことができるのです。上辺の優しさには、救いを見出すことはできません。このような主イエスの思いを、人々は全く知りません。罪深いことです。

45節「しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた」。これは当然のことでしょう。癒された人は嬉しいのです。ですから、しゃべるでしょう。彼は、主の禁止命令を守りません。これは、救いから遠くなるということです。彼は癒されたことで良しとし、良かったから、それで終わりとなるのです。「叱られる」ということは、そこで終わらないことです。駄目だと言われなければ、人は前には進めないのです。
 また、誰もが彼に、どうして癒されたのかと聞くことでしょう。そして、問われれば答えるでしょうから、主の禁止命令があっても、しゃべってしまうことは無理もないことです。

けれども、もし彼が弁えていたならば、しゃべらないで済んだでしょう。「わたしを癒してくださった、その主が怒っておられる」、そこで、主に求めるべきことは癒しではなく救いであることに気付くべきでした。救いを必要とする自分のあり方、罪なるあり方を、主の憤りによって気付くべきでした。けれども、彼は癒されたことを喜んで、それで終わってしまいました。しかしそれも仕方ないことでありましょう。

45節後半「それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た」と記されております。人々が癒しを求めて主イエスのもとに押し掛けたということです。
 ここで覚えなければならないことがあります。それは、「人々は主イエスを必要としている」ということです。主の御心に気付かない、けれども、人々は主の救いを必要として、主のもとに押し掛けているのです。

今の時代、叱られることを受け止めることが難しくなりました。
 けれども、主イエスが「私どもの救いのために憤っておられる」ことを受け止められるならば幸いです。
キリストの名」 7月第3主日礼拝 2012年7月15日 
小島章弘 牧師 
聖書/創世記 第4章25〜26節、使徒言行録 第3章1〜10節

創世記4章<25節>再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。<26節>セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。

使徒言行録3章<1節>ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。<2節>すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。<3節>彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。<4節>ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。<5節>その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、<6節>ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」<7節>そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、<8節>躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。<9節>民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。<10節>彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。

ペンテコステがあってから弟子たちは活動をはじめ、語り始めます。それまで弟子たちは、十字架から逃げ、逃亡し、閉じこもり、イエスのよみがえりがあっても、まだ立ち上がることができませんでした。それだけ挫折が大きかったのです。 しかし、信仰の炎が与えられ彼らは立ち上がり、言葉を回復し語り始めたのです。 その第1歩が今日の箇所です。大変面白い箇所です。
 しかも、この出来事は、4章31節までの長い箇所になっています。その間ペトロの説教があり、ペトロとヨハネは牢に入れられたりしましたが、ひるむことなくキリストの証人としての活動をしています。
 今日はその出来事についてだけを読んでいただきました。

ペトロとヨハネが、ユダヤ人の習慣に従って祈るために神殿に赴きました。1日に数回祈りを欠かしていなかったことがうかがえます。習慣化している道では、素通りしてしまうことが普通ですが、この日2人の弟子たちは違っていました。そこに何十年も同じようにして置かれていた生まれつき足の不自由な男に目が留まりました。彼らにはペンテコステ後変化が起こっていました。弟子たちは、この男を「じっと見た」と書かれています。素通りしなかったのです。そこに置かれていた男に関心を持ったのです。

この男は、4章22節にありますが、40歳あまりの人とありますので、毎日のように家族の者が連れてきては、そこに置いていったのでしょう。それも何十年にもわたって、毎日あいも代わらずされるがままでした。この人は、地面だけを見て、誰も話しかける人もなく、ただ明日を信じることもなく過ごしていたことでしょう。1日が長い。そのこと自体が悲劇的なことですが、それ以外に彼には何もできない状態でした。
 そこは「美しの門」とあだ名で呼ばれていた「ニカルの門」の入口でありました。ユダヤ人でありながら彼は中には入れなかったのです。汚れた者として差別されていたからです。「美しの門」と「生まれつきの足の不自由な物乞い」は、いかにも対照的です。いつの時代でも、その時の表と裏、光と闇があります。神殿は贅沢な金、銀、宝石で彩られて、絢爛豪華なものであったといわれます。その背後には虐げられたり、差別されている人がうごめいています。この物乞いは、善意で、あるいは同情で小銭を恵んでいく人がいて、何とかその日が過ぎていくのです。 そんな毎日です。
 そこにペトロとヨハネが通りかかり、声をかけました。「わたしたちを見なさい」と。下ばかり見て1日の大半を過ごしている人は、ほとんど上を見ることのない毎日です。

その男に、ペトロは上を見上げることを促したのです。彼は、当然何かを恵んでくれることを期待していたことでしょう、が、ペトロは金や銀はない。与えることができるのは、「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩け」との言葉です。
 この言葉「キリストの名」は、使徒言行録に多くみられるものです。聖書の中では、旧約では創世記4章の最後に初めて登場してきます。「主のみ名を呼び始めたのは、この時代のことである」とあります。カインは、弟アベルを殺害しました。 しかもそれは神に捧げものをした、いわば礼拝の場での嫉妬から野原に連れ出しての殺人でした。それはカインを苦しめることになったのです。怖かったのです。 恐れ不安の中で、びくびくして生きなければならなくなりました。
 そのカインの時代から「主の名を呼び始めた」とされていることは意味深いことです。カインは、神のみ名を呼ばなければ生きられなかったのです。おそらくペンテコステ以降の原始教会の中で、「キリストの名によって生きる」ということは弟子たちにとっても大きな支えになったことでしょう。事実この後にペトロとヨハネとは牢につながれていますので、キリストの名によって生きることは迫害されることを覚悟しなければならないことになるわけです。
 私たちも洗礼を受ける際に、「父と子と聖霊とのみ名によって、バプテスマを授ける」ということで、水をもって洗礼を受け、キリストと共に死に、キリストと共によみがえるという祝福を受けました。イエスがのろいの木、十字架にかけられたことで罪赦された喜びに与ることができました。

それは、ある神学者(カール・バルト)が、「人間の世界は、括弧の中に入って、その( )の前にマイナスがくっついているものだ」といっています。つまり、私たちは人生で諸々のものを吸収、獲得しています。富を得たり、名誉、地位も得たりしますが、その括弧の前にマイナスがつけば、全部がマイナスになってしまいます。しかし、「キリストの名によって生きる」ということは、そのマイナスを取り去ることだというのです。信仰とは、そういうことだと言います。
 40年もの長きにわたって、ただ置物のようにされていた男は、キリストの名によってマイナスが取り去られて喜び踊ったのです。彼はペトロの導きで、立ち上がり、喜んで、飛び上がりながら神殿に入って、神を賛美したというのです。

それは、この世的なもので自分の人生を埋めないということであり、「キリストに自分の人生を明け渡す」ことであり、「自分の人生の主人公をキリストにする」ことであります。つまり、「キリストの名によって歩く」ということは、「わたしは神のもの」ということです。それは透明な自分にされるということです。別の表現にすれば、「神のものになる」ということです。

最近手にした本に「なぜわたしだけが苦しむのか」というユダヤ教のラビH.S.クッシュナーが書いたものがあります。自分の3歳の息子アーロンがプロゲリアという難病に見舞われ、人の何十倍もの速さで老化していく難病だったのです。ラビだけに苦しみ、旧約聖書を読み、ある結論に達しました。
 彼は、次のように書いています。「人生の悲劇は神の意志によるものではないのですから、悲惨な出来事に見舞われたとしても、わたしたちは神に傷つけられたとか、裏切られたとか感じる必要はありません。その苦しみを乗り越えるために、神に目を向け、助けを求めればよいのです。神もわたしたちと同じように憤りに震えているのですから。」(岩波現代文庫 p.216)

この記事の中で、ペトロは「イエスを十字架にかけたこと、神がよみがえらせたこと」を指摘し、3章16節で「それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなた方一同の前でこの人を完全に癒したのです」と説教します。

この名、つまり「キリストの名」によって、私どもも癒され、不条理の中でさえ喜びと希望を持って生きることが許されているのです。

四人の男に信仰を見る」 7月第4主日礼拝 2012年7月22日 
北 紀吉 牧師(文責・聴者)
聖書/マルコによる福音書 第2章1〜12節

<1節>数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、<2節>大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、<3節>四人の男が中風の人を運んで来た。<4節>しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。<5節>イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。<6節>ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。<7節>「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」<8節>イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。<9節>中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。<10節>人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。<11節>わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」<12節>その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

1節に「数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると」と言われております。物語が新しい展開になっているということです。主イエスは1章38節で「近くのほかの町や村へ行こう」と言われて、カファルナウムから出られました。そしてここで「再びカファルナウムに戻って来られた」ということです。つまり、カファルナウムは、主イエスの活動の中心地であることが分かるのです。

そして「家におられることが知れ渡り」と続いております。「家におられる」、私どもは何気なく読んでしまいますが、そこは一体誰の家だったのでしょうか。当時の人々には分かったのでしょうが、後の顛末を考えますと、誰の家でもよいわけではありませんので、問わなければならないことです。その家には大勢の人が押しかけ、挙げ句の果てに屋根まで剥がされてしまうのです。
 ここまでで「家」と言って出てくるのは1章29節「シモンとアンデレの家」であり、その時にはヤコブとヨハネも一緒でした。つまり、この時点で主イエスと4人の弟子たちの一行を「シモンとアンデレの家」は迎え、そうすることを良しとしていたということです。またその時には、シモンのしゅうとめが高熱を出して、それをシモンが主イエスに告げ、しゅうとめは主に癒していただき、起き上がって主の一行をもてなしたことが記されております。従って、この「シモンとアンデレの家」は、主イエスの知古の家であり、また家族が癒していただいた主に恩のある家であり、更に主の一行をもてなして仕える家なのです。そう考えますと、ここに言う「家」は「シモンとアンデレの家」であるでしょうし、そしてその家は、主イエスの活動の拠点となった家なのです。

ここに、主の御業の麗しさを思います。主イエスは一つの家庭に入ってくださり、その家を主の御業、伝道の拠点としてくださいました。それは、私どもの家庭こそが、主の御業、伝道の拠点となることを示すことです。
 愛宕町教会では、昨日から夏期伝道実習生を迎えております。毎年そうですが、夏期伝生のために家庭集会が開かれて、各家庭において御言葉を聴く時が与えられております。それは、学生の訓練の時を用いて、主イエスが各家庭を拠点とし、御言葉に聴く時を与え、主の御業、活動の場としてくださり、宣教なさってくださるということです。家庭集会とは、主がその家に赴いてくださって、主が働いてくださって、ご自分の御業の拠点としてくださる「恵み」であることを、感謝をもって覚えたいと思います。
 そして、それこそが「教会」であります。使徒言行録やローマの信徒への手紙にも、家庭集会に人々が集い、そこで御言葉が語られている場面がありますが、愛宕町教会もまさしくそのように、鈴木顕栄牧師の母、鶴代牧師の時代から、自宅を開放しての家庭集会を開きました。そして、いくつもの信徒の家庭で集会を持ちました。今でこそ車で移動できますが、遠くまた山奥へも自転車で出かけたことが記録されております。そして、その家庭集会から今の愛宕町教会が形成されていきました。それは、主イエスが私どもの家々を宣教の拠点として、そして私どもの教会を作ってくださったということです。ですから、ここで「シモンとアンデレの家」が主の活動の拠点であったということは、これからの私どもの教会形成においても示されている大事なことであります。今の時代は個を大事にしますから、家庭を開放しての集会を持つことが難しくなっていると思うのですが、主イエスが「私どもの家にいてくださる」ということは、素晴らしく恵み深いことであることを覚えたいと思います。

続けて、主イエスが家におられることが「知れ渡り」と記されております。なぜ、こう言うのでしょうか。主イエスはらい病人を癒されました。その癒しの出来事は言いふらされてしまい、主は活動できなくなったことが、前のところに記されております。主イエスは「救い主」として来られたのであり、病を癒す者ではない。ゆえに、癒しの出来事を口止めなさったのでした。ですから、主イエスはこのシモンとアンデレの家に、公然と行かれたということではなく、人知れず休むために行かれたのではないかということが、この「知れ渡り」という言葉がほのめかしていることだと思います。
 主は公然と行かれたのではない、しかし、自ずと知れ渡ってしまったのです。それほどまでに、人々は主イエスを求めております。宣伝したわけでもないのに人々が主のもとにやって来た、それが「知れ渡り」という言葉の示すことです。

人々は、何を求めているのでしょうか。そこに求めるものがあれば、人は来るのです。人々が主イエスを求めて止まない、ゆえに、人々は主のおられる家に殺到しました。2節「大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった」とあります。「戸口の辺りまですきまもない」とは、すごい数です。人々は主イエスの側に集いたいのだということを覚えなければなりません。
 そしてそこで、主イエスは何をなさったでしょうか。「御言葉を語って」くださいました。人々は、御言葉を聞きたくてやって来たのでしょうか。そうではありません。癒しを求めて来たのです。御言葉を求めて来たのではなく癒しを求めて来た人々に、主イエスは御言葉を語られる。これは大事なことです。癒しを求める人々に必要なのは「神の言葉」である、「神の言葉こそ必要である」ことを、主は知っておられるのです。

人は、さまざまなものを欲します。癒しを願うのです。しかし、そういう者であるからこそ、神の御言葉が必要なのです。確かに病が癒されることは喜びですが、しかし、それで完結するわけではありません。人は病む者なのです。人は癒しを必要とする者である、だからこそ、人は自分で意識していなくても、本当は神の御言葉を必要とするのです。
 「求めを持つ」ということは「魂の飢え乾きがある」ということです。求めるものは、さまざまある。しかし、その求めに応えるということは、直接的な解決のために応えるということではないのです。人は欲望を持ちます。求めが与えられれば、また更に欲する。欲望に切りはありません。主イエスは、だから知っておられます。人にはさまざまな求めがある、だから「神の御言葉なしにはいられない」ことを知っておられる。ですからこそ、主イエスは求めて来た人々に、御言葉を語ってくださるのです。自分でも自分に何が必要か分からない私どもです。しかし、主イエスは私どもに必要なものが何かを知っていてくださるのです。それは恵み深いことです。

3節、ここで驚くべきことが起こります。「四人の男が中風の人を運んで来た」というのです。病人を運んで来た、それだけなら分かりますが、何とか主イエスに触れていただこうと、4節「イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした」と言うのです。当時、イスラエルの家は、屋根の骨組みの上に粘度を乗せて作ったもので、雨期の前には修繕するために外階段が備えてありました。ですから、ここで4人の男が「屋根をはがして穴をあける」ことは、今の私どもの感覚では信じられないことですが、さほど難しいことではなかったと言えます。しかし、この行為は、非常識極まりないことでしょう。

けれども、ここで主イエスがなさることには、もっと驚きます。そこにいた人々もどれほど驚いたことでしょうか。5節、主イエスは「その人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた」と言うのです。主イエスは、非常識としか思えない4人の行為を「信仰」と言い、中風の人に「赦しの宣言」をなさいました。
 ここで、私どもが知るべきことは何でしょうか。自分ではどうすることも出来ない困難の中で、ただ主イエスを求めて止まない姿、それを主は「信仰」と言ってくださっております。
 しかし、4人の男に信仰があったかどうかは定かではありません。癒しを求めて来たことは確かですが、救いを求めて来たかどうかは分からないのです。けれども、主イエスは彼らの行為を「信仰」としてくださいました。ですから「信仰の主体」は、主イエスにあるのです。私どもがどうかということではない。主イエスが私どもの姿を「信仰と見てくださる」、だからこそ「信仰」なのだということを覚えなければなりません。

私どもは、「あなたの信仰はどのようなものか?」と問われて、はっきりと答えることができるでしょうか。この4人の男の行為から、彼らの信仰とは何か、どのようなものかを突き詰めて考えると、とても理解はできません。
 ここで、主イエスが彼らに「信仰を見る」とはどういうことでしょうか。彼らが非常識なまでに主を求めて止まない、だから、その姿勢を誉めてくださったのでしょうか。そうではありません。誉められたのではなくて、非常識で愚かでしかない彼らの思いを、主は「憐れ」と思ってくださったのです。とても誉められない行動をするほどに主を求めていることを誉めて、信仰があると言ってくださったのではない。彼らの行為を見て、主イエスがただ「憐れ」と思ってくださって、そこに「信仰を見てくださった」、そして「救いの宣言をお与えくださった」のです。
 主が私どもを「憐れ」と思ってくださる、だから、私どもは救われるのだということを覚えなければなりません。そして、そうとしか、この行為の意味を読み取ることはできないのです。

「信仰」とは「神の憐れみ、神の憐れみをいただくこと」です。そして、信仰は何をもたらすでしょうか。それは「罪の赦しの宣言をいただく」ことに繋がります。それゆえに「信仰」とは、「罪の赦しの出来事、神の憐れみによる罪の赦しの出来事である」ことを覚えなければなりません。私どもも、主の憐れみを受けて、赦しの宣言をいただきました。私どもには、到底、信仰と言えるようなものはありません。何もない。にもかかわらず、主の赦し、救いに与っているのです。

ですから、ここで4人の男の行為に主が信仰を見てくださったという出来事は、恵み深く、有り難いことなのです。

そして思わされることがあります。ここで「救いの宣言」をいただいたのは、4人の男ではなく、寝たきりの中風の人でした。この中風の人の信仰はどうであったのでしょうか。
 実は、このことは、愛宕町教会でなされた、ある信仰告白の出来事と深く繋がることですので、必ず語らなければならないことです。
 ですので、次回、中風の人の信仰について御言葉に聴き、ここに私どもの教会の信仰告白があることを、改めて確かにしたいと思います。

人間を照らす光」 7月第5主日礼拝 2012年7月29日 
山田詩郎 神学生 
聖書/ヨハネによる福音書 第21章1〜14節

1章<1節>初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。<2節>の言は、初めに神と共にあった。<3節>万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。<4節>言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。<5節>光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。<6節>神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。<7節>彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。<8節>彼は光ではなく、光について証しをするために来た。<9節>その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。<10節>言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。<11節>言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。<12節>しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。<13節>この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。<14節>言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

この箇所はクリスマスの時に読まれることの多い箇所であります。冬至にいたって太陽の光が最も弱まる時、暗闇の時間が最も長くなるときに読まれる箇所なのです。今は、冬至とは全く逆の季節、暑い季節にいますわたしたちです。しかし、世の闇、人間の闇に季節は関係ありません。今日の説教題を「人間を照らす光」といたしました。光ということを知るために、まず闇を理解しなければなりません。今日の聖書の箇所でも、暗闇という言葉が出てきます。暗闇、これは「人間の罪」のことです。5節で「暗闇は光を理解しなかった」と言われます。それは、人間の罪が光を理解しないと言っているのです。人間の罪とは一体何でしょうか? それは人間がこの世を、この世界を自分の所有物であると思い込んでいることでしょう。自分の人生、自分という存在を、我が物としている姿。これが人間の罪、暗闇なのです。それは、自己中心と言ってもいいでしょうし、すべての事柄において自分を出発点として見ていくということでしょう。自分の安全を守りたい、自分が心地よくいたいと願うことは当たり前のことです。それ自体は悪いことではないのです。しかし、それが人間を、自分を第一に、出発点として考えていくならば、際限が無く自己実現を求めていくことになるでしょう。それは延いては他者をないがしろにし、結局は自分に与えられた命をもないがしろにすることになるのです。自らを出発点にするとき、わたしたちの貪欲さは留まるところを知りません。自らに与えられていることに満足せず、現状に飽きたらず、どこまでも欲しい欲しいと求めるのです。このように今の自分、等身大の自分に満足できないということは、結局自分に与えられている命をないがしろにしていることなのです。まことに自我という物は、わたしたちを支配しようとするかのように思われる物であります。しかし、それは、自らの出発点を自分においていること、人間においていることからくる問題なのです。このような自己を出発点とする闇から、孤独も生まれるでしょう。自己を中心にするとき、他者との関係をもつことの意味がうしろに退いてしまうからです。孤独が生み出されるとき、闇は深まるばかりなのです。人間の罪の結果として、孤独があるのです。

しかし、そのようにして人間を出発点として考えてしまう、気づかないうちにそのようにして生きてしまっているわたしたちに、聖書はこう申します。
 「初めに言があった。」
 初めにあるのは人間などではありません。第一とするものはあなたではないというのです。そうではなくて、初めに「言」があったというのです。「言」。これはイエス・キリストです。人間がつくられる前、動物がつくられ、草木がつくられ、この宇宙が、万物がつくられる前に、この歴史が始まる前に言があった、イエス・キリストこそ出発点である、第一のものであるのです。時、この世界に先立って、唯一の方として、そして永遠のお方として、第一の方イエス・キリストがいるのです。このことをヨハネによる福音書は最初に告白しているのであります。

自己を出発点としていたわたしたちにとってこれは驚くべき知らせです。出発点がイエス・キリストであるということはどういうことでしょうか。もう人間が出発点ではない、つまり、求める物は自己実現ではなくなったということです。わたしたちの生の目的が、全く違うところに根拠づけられることになったのです。自分の思いが実現するよりも、神の思いが実現すること、自己が他者を支配することよりも、神の国がこの世に実現すること、世のすべてのものがこのイエス・キリストに根拠をもつことこそが目的となったのです。そして、実は、ここに光があるのです。闇とは全く別のものが証しされているのです。光です。初めに言があった。それは光があったということなのです。

「この言は、神と共にあり、言は神であった」と言います。2節においても 「この言は、初めに神と共にあった」と言われます。言が神と共にあるというとき、それは、イエス・キリストが神との交わりの中におられることを言っているのです。交わり、神はそのご自身の内において孤独な方ではないのです。一人にして父・子・聖霊の交わりをもっておられる方なのです。その存在が交わりのお方で、父と子と聖霊の交わりの内に、わたしたちを招いて、わたしたちと関わってくださるのです。それも言によってです。言によって語りかけ、名前を呼んで、お交わりくださるのです。

「万物は言によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった」。
 創世記にあるとおり「光あれ」との言によって光ができました。光にしても、天と地が別れることにしても、植物や動物がつくられることにしても、神の言によって、その言が力となり命となりすべてのものが形づくられたのです。神の言によって成ったものは、神との関わり、神との交わりの中で命を得るのです。ですから、4節で「言の内に命があった」と言われます。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。神の言には命があるのです。神は命の源だからです。命とは交わりのことなのです。神が言をもって語りかけるとき、そこに命の交わりが生まれるのです。自分を出発点として考えているならば、それは自己完結の世界です。それは孤独です。そこに命の交わりはありません。何処まで行っても自分しかいないのです。他者との交わりを必要としないなら、それは、結局孤独なのです。しかし、神様は命は光だと言います。孤独という闇の中にいる者を照らしてくださるのです。神様との交わりの中に招いてくださることによって、その人を明るみに招いて、照らしてくださるのです。

でも人間が光ではないということが繰り返されます。その人間の一人としてヨハネが登場します。ヨハネはその時代、多くの人に知られていました。それだけでなく、この福音書を読んだ教会には、もともとヨハネの弟子たちが多くいたと言われています。ですから、すぐにヨハネのことを思い起こすことができました。このヨハネを模範として示しています。ヨハネは光ではない。しかし、光を知った者として、照らされたものとして、光を証しするために遣わされた者であると言うことです。もう自分が輝く必要はない。むしろ自分は退くのです。自分が前に出ないと寂しいなどと考えてしまうようなわたしたちなのです。しかし、自分が退くと言うことは、孤独とは違うのです。命との関わりの中にあることこそ、わたしたちの平安の源であります。わたしたちが前面に出るとき、それは主イエスを不要なものとしていることになるのです。

「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」。ここに神の約束があります。すべての人を照らすと言うのです。光は罪有る者を、そのまま照らします。罪が明るみに出るときわたしたちは恐れます。本当の自分、ありのままの自分に嘘をついて罪の中を生きているからです。しかし、罪の赦しの中に、照らされるのです。わたしたちは光のもとにおいてのみありのままの姿でいられるのです。神の前にへりくだって、ありのままが赦される。そのとき感謝することができるのです。

人が神の子とされるというのは、人間の領域、人間の側から生まれ出ると言うことではないのです。血によってではなく、肉の欲によってでもなく、人の欲によってでもなく、神によってです。信仰は神が与えてくださる奇跡なのです。ユダヤ人達は、自分たちの民族が、その血統によって神の民であることが相続されると信じていたでしょう。しかし、人間の血筋や家柄、その人の背後に人間的な何があると言うことには関係ないのです。 ただただ、神が起こしてくださる奇跡なのです。それによって神の子とされるのです。

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。わたしたちには、もう約束されています。わたしたちが受け入れる、受け入れないということの前に、言は肉となって、人間の姿と成ってわたしたちの間に宿られ、語り、交わってくださるのです。

わたしたちもいつも問われます。あなたの第一とするものは何か?と。すでに主は来てくださいました。14節で「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と言われている通りです。神はわたしたちと交わるために、独り子イエスをわたしたちと同じ肉、人間の姿として歴史の中に介入してきてくださったのです。

わたしたちが信じ、第一とするものは何でしょうか? わたしたちが第一にするものを誤り、交わりを失い孤独である中で、神の言イエス・キリストはわたしたちと真に交わるために、人となってわたしたちの孤独を味わいきり、わたしたちと同様になってくださいました。何より、語りかけて、お交わりくださいます。この神の言であるイエス様は、今日も、わたしたちの側の如何に関わらず、つねに光としてわたしたちのありのままの姿を照らしていてくださり、赦していてくださるのです。このお方を、感謝し、第一とするほかありません。