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16節、2度目に主イエスが「わたしを愛しているか」と、ペトロに聞いてくださっております。ペトロは驚いたことでしょう。まさか2度も同じことを問われるとは思ってもいないのです。ペトロが主イエスを愛していることを、主イエスはご存じの上で、敢えて聞いてくださいます。それは、ペトロが主イエスをどれほどに愛しているか、ペトロ自身が身に沁みて知るまで、聞いてくださるということです。 17節、3度目の「わたしを愛しているか」との主イエスの問いに対して、ペトロの思いはどうであったか、「悲しくなった」と一言記されております。一般的に、何度も同じことを聞かれるとどうでしょうか。反発するのではないでしょうか。殊に親しい関係であれば、「そんなに信頼していないのか」と腹立たしい語調で答えるのではないでしょうか。以前のペトロであれば、そうだったことでしょう。しかし、ここでのペトロは違うのです。腹を立てるどころか「悲しむ」と言われております。ペトロは主イエスを深く愛しているがゆえに悲しかったのです。ペトロの悲しみは、主イエスをどれほどに愛しているかを示しております。 この主イエスの問いに対して、ペトロは「あなたは何もかもご存じです」と答えます。ペトロが主イエスを愛していることを本当に知っているのは、主イエスのみなのです。ペトロ自身は、自分が主を3度も否んでしまい、主を愛すると言いながら愛し抜くことができる者ではないことを知っております。ペトロも、そして私どもも、どのように主イエスを愛しているのか、本当には知ることができないのです。だからこそ、主イエスは示してくださいます。私ども以上に私どもを、人の思いを知っていてくださるのは、主イエスのみです。自分の罪をも知り得ない私どもを知っていてくださるのは、主のみなのです。主は、知り尽くし得ない私どもの罪までをも、十字架で裁かれてくださいました。 3度目に、もう一度「わたしの羊を飼いなさい」と、主は言ってくださっております。ペトロは、誰にもまさって「教会に仕える人」とされました。そのペトロに与えられているのと同じ恵みが、私どもにも与えられております。 18節「はっきり言っておく」と、主は言われます。ペトロがどのような死に方をするか、わざわざはっきり言わなくてもよいと思うのです。しかしこれは、主イエスの宣言の言葉です。それは真実にそのことが成る、ということであり、それはペトロが十字架刑になるということです。「行きたくないところへ、両手を伸ばして行く」、後に「両手を伸ばして」とは十字架刑を指す言葉となりました。 そして、私どもが主に従うこと、それは、神の救いの業のために仕えることであり、それは「この世に神の救いがなる」ということです。 「主に従う」、そこでこそ神の救いが満ちあふれ、そこでこそ私どもは平安なのです。 |
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主イエスは「わたしに従いなさい」と、ペトロに言われました。「主イエスの弟子」とは「主イエスに従う者」であるということが19節に示されていることです。そしてペトロは「主のように」十字架につき殉教の死を遂げました。それがペトロの「主に従う姿」であり、それによってペトロは神の栄光を表したのです。 ヨハネによる福音書は、ある特定の地域の教会に宛てて書かれた説教でした。21章には教会の指導者となったペトロの出来事が語られておりますが、20節以下には「イエスの愛しておられた弟子」と言われる人についても語られております。それは「イエスの愛しておられた弟子」が、その地域の人々にとってペトロと並び立つほどに大事な人であり、「その人がどうなったのか」ということが、その教会の関心事だったからです。 「イエスの愛しておられた弟子」について、「死なないといううわさ」があったことが23節で分ります。そしてそれに対する答えが、主イエスの御言葉として示されております。「イエスの愛しておられた弟子」とは、どのような人だったのでしょうか。20節「この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、『主よ、裏切るのはだれですか』と言った人である」と記されているように、主イエスに寄りかかるほどに主と親しい交わりにあった弟子、そしてヨハネによる福音書を生み出した教会の第一の指導者であった者、それがここに言う「イエスの愛しておられた弟子」なのです。ペトロはキリスト教会の第一の弟子、宣教の担い手でした。しかし、自分たちの教会にとってはペトロ以上に大事であり、力ある指導者、牧会者だった弟子、その人は一般的にはヨハネと言われておりますが、実際にヨハネという名であったかどうかは分りません。しかし当時の人には「あの人」と分るのです。そのような教会の指導者、宣教者、牧会者がどうなったのか。なぜ死なないという噂が立ったのか。そこで、この人が何を強調して宣教したかが分かります。それは「主イエスの再臨」ということです。「神の国は近づいた」それは「終末は近い」ということです。この人は「終末、主の再臨のときは近い、いや今にも来ようとしている、だから悔い改めて主イエス・キリストの福音を信じなさい」という宣教をした弟子だと思われるのです。22節「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と主イエスは言われます。つまりそれは「主イエスが再び来られる」という前提があって言われていることです。「死なない」とは、主の再臨は近い、終末は近い、そういう緊迫感があるからこその言葉なのです。 「主の再臨」について話さなければなりません。これは重要なことです。「主の再臨のとき」とは「全ての者のよみがえりのとき」です。「終末のとき」とは「救いの完成のとき」、死にすぎない者、死んでしまった者が「永遠の命を頂く恵みのとき」なのです。ですから、終末の時は滅びの時なのではありません。私どもは皆、死に向かって生きている者です。この地上においては、滅びゆく者、誰もが死の支配の内にあるのです。もし主の復活と再臨がなければ、死によってすべてが終わり、救いは完成しないのです。主の再臨によって永遠の命の恵みに与り、滅びに過ぎない者がしみも傷もない全き者とされる、変えられるのです。人はいつか死ななければなりません。ですから、生きながらえることが幸いなのではありません。滅びに向かうまま生きながらえるということではないのです。そうではなくて、死んで後、完全な者として甦る、それが「主の再臨のとき」なのです。 自分の終末、それが私どもの「死」です。小終末です。小終末の時、葬儀礼拝の説教においては「復活」が語られます。人の死を死んでくださった主イエスは、復活して永遠の命の約束を与えてくださいました。ですから、私どもの死は無意味なのではありません。私どもの死とは、地上での生を終えた者が「甦りの命を頂くとき」なのです。主と共に甦りの命を頂いていることを知るのです。個々の小終末において、復活の命に与っているのです。ですから、それは「復活の主の恵みに生きている」ということです。 |
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愛宕町教会の礼拝に招かれて、説教の御用に当たらせていただく幸いを与えられ、畏れを覚えつつ参りました。私が東海教区に参りましたのは2005年の4月であり、その時は軽井沢教会に赴任いたしました。軽井沢から現在の富士吉田教会に参りました時には、北先生のご指導とご支援をいただきました。その時、私は北先生については、教区議長という以外、ほとんど何も知りませんでした。北先生も私のことをまったくご存知なかったわけです。「平松先生はどうして軽井沢教会に行かれたのですか」というのが、先生の最初の質問でした。しかし、教会をわずか7カ月で辞任し、牧師館を出なければならなくなった者に、温かいお言葉をかけていただき、富士吉田教会の牧師館に入居できるように取り計らってくださいました。その時、先生は富士吉田教会の代務者をしておられました。 この礼拝のために与えられた聖書は、先ほど朗読されたマタイによる福音書26章です。イエスが逮捕され、裁判ののちに十字架刑に処せられる前に、ゲッセマネ(油絞りの場所)という庭でお祈りされた時の言葉です。日本語で「油を絞る」というとギューギューひどい目に会わせることを意味します。しかしゲッセマネは<オリーブの実から油を搾り出す>場所であったと思われます。それが庭園の名前になっていたのです。7年ほど前の映画ですが「パッション」(英語の原題はThe Passion of the Christ)というアメリカ映画がありました。パッションといえば「情熱」と思うかも知れませんが、聖書ではキリストの受難を意味しています。その映画は、このゲッセマネの場面から始まっていました。そこには樹齢何百年、あるいは千年以上のオリーブの老木があります。私が小学生時代に、アメリカのある婦人からクリスマスカードをいただいた時、そのカードにオリーブの葉っぱが1枚貼り付けてありました。そして「これはゲッセマネの園のオリーブの葉っぱです」と書いてあったので、大変興奮したことを覚えています。1976年には聖地旅行をする機会が与えられ、そのゲッセマネの園のオリーブの木を見ることが出来ました。 そのゲッセマネでイエスは、ご自分の苦難と死が待ち受けていることを悟られて、何とかそのような目に会わないで済むことが出来ないのだろうかと祈られました。このことは、<イエスは神の子であったが、やはり死ぬことが怖かった>というのではありません。イエスは常に普通の人々、庶民を大切に思い、交わっておられました。ところが、彼らはイエスに現実的な期待をかけ、病の癒しや生活の向上、ローマの支配からの解放、といったことを期待したのです。けれども、イエスはそのようなことで人々の期待に応えることなど、まったく考えておられませんでした。ただひたすら、私達を愛してくださる神を教え、神の愛を伝えたのです。そして、それは民衆の期待するものではないことを、よく知っておられたのです。間もなく、人々がイエスにかけた期待が裏切られたと思い、イエスを捨てる時が来る、ということをイエスは予感しておられたのです。 イエスにとって大きな悲しみは、民衆から捨てられることであった、と思います。神が造り 、生かし、愛しておられる民衆が、数々の病や苦しみ、悩みを負っていました。イエスはその人々に、神は常にあなたがたに愛を注いでおられる、ということを伝えたかったのです。しかし、人々はそのことを受け入れ、信じることが出来なかったのです。それは神に期待をおかない不信仰の姿でありました。そのことがイエスにとっては一番悲しいことでした。だからイエスは「出来ることなら、そのようなことにならないようにしてください」と祈られたのです。しかし、その祈りの最後に、「しかし、私の願い通りではなく、(あなたの)御心のままに。」と祈られました。これこそ、信仰者にとって一番大切なものであると思います。 聖書のメッセージを3つに要約すると、次のように言えると思います。 福岡の教会に仕えていた時のことですが、同僚の若い牧師が「我が家の、生れたばかりの女の子が入院している」と言ったので、何故か?と尋ねますと、「ボタロー氏管開存のためだ」と言うのです。聞いたこともない病気なので、どんな字を書くのか?と聞くと、「ボタロー氏という人の名前のついた管が開いたままになって存在している」と教えてくれました。ここには医学や医療に携わっておられる方もおられると思いますが、私が素人なりに理解したことは、次のようなことです。 こういうことを知ると 、私達が健康で生きている、ということは、決して当たり前の事ではない、実に不思議なことだと思わされます。母親の胎内に宿ること、すなわち卵子が受精することも、決して当たり前のことではありません。絶妙のタイミングで受精して初めて、細胞分裂を開始するのです。私はその詳細についてうまく説明することは出来ませんが、ボタロー氏管開存という病気のこと一つをとっても、私達がこの世に生まれ出て、ここまで歩んできたことは、奇跡的なことだと言えます。 古代の人々は、どの民族であっても、自分達の初めはどうだったのか、あるいは自分達の生きているこの世界や宇宙の始まりは、どのようであっただろうか、と考え続けました。そして、聖書の民であるイスラエル民族は、聖書の冒頭にある創世記の天地創造物語を生み出しました。これを、荒唐無稽な作り話、と切り捨てることも出来るかも知れません。しかし、この物語が語っている一番大切なことは、<私達はみな神によって造られたのだ>という信仰です。創世記2:7に「主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」と記されています。この<生きる者>という言葉は、ヘブル語でネフェシュハイヤーという単語を使用しています。これは、他の生物と区別する特別な単語であると言われています。ここでは、創造者と被造物がハッキリ区別されているのです。そして「被造物である人間が 、神に成り代わることほど大きな罪はない。それは秩序の破壊である。」と教えているのです。 先日、埼玉県に住む久保木裕子さんご夫妻を訪問しました。裕子さんは、私の妻が若い時に勤めていた幼稚園の生徒でした。彼女とは40年以上のおつきあいになります。彼らが結婚した時には、カナダに新婚旅行され、当時バンクーバーにおりました私達を訪ねてくれました。しかし彼らには、長い間子供が与えられませんでした。色々の不妊治療を試みて、9年後にようやく女の子が与えられました。「チーちゃん」と呼びたいから、ということで「千歳」と名づけられました。その時、私達は東京の代官山にある本多記念教会におりましたので、川越から来て幼児祝福式を受け、その後は近くの「初雁教会」の教会学校に行っていました。「チーちゃん」は、幼稚園は無遅刻無欠席で、健康そのもので育ちました。時には大人顔負けの発言をする利発な子供でした。ところが、小学校に入学し、希望にみちた歩みを始めたばかりの5月に、アトピー性皮膚炎の治療のために血液検査をしたところ、白血病だということが分かりました。ご両親にとってはまさに青天の霹靂でした。最初は抗がん剤による薬物療法、のちにはお父さんの骨髄を移植する治療が行われましたが、1年11カ月の闘病ののち、7才11カ月で天に召されました。2年前の出来事でした。 教会は、このような神からのメッセージを、この世に向かって宣べ伝えて来ました。そして、これからも常にそのメッセージを伝えることによって、この町に仕えるものであっていただきたいと願います。主イエス・キリストが、悩む者、苦しむ者、迷う者の傍らに常に立ってくださり、神の愛を伝えてくださったと同じように、キリストの福音を宣べ伝え続けていただきたいと、心から願います。 |
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ヨハネによる福音書も最後になりました。5年にもわたって、共にこの福音書に聴けたこと、感謝です。 24節「この弟子」とは「イエスの愛しておられた弟子」であり、いわゆる「ヨハネ」と言われる人で、ヨハネによる福音書の背景としてある教会を指導した人です。「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である」とあります。「弟子」とは「主イエス・キリストについて証しする者」であることを覚えたいと思います。「主イエス・キリストを言い表し、宣べ伝える」それが「弟子」です。そして「主イエス・キリストの証し」を記したもの、それが「福音書」です。福音書は主イエスの伝記ではありません。「主イエスはキリスト(救い主)、神の子であることを証しする」もの、それが福音書だということを覚えたいと思います。 「わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている」と記されております。「わたしたち」とは、証しを聞いた人々のことです。証しは、当時は教会で朗読されたのであって、皆が聖書という書物を読んだわけではありません。それは教会でこそ語られるのであり、教会員(キリストを信じる群)が聴いたのです。 ここで、「わたしたち」とは「教会」であることが示されております。信じる群れ、信仰共同体である「教会」こそが、「イエスがキリストであることを知り、宣べ伝え、証ししている」のだということを覚えなければなりません。 教会の担っている使命は「宣べ伝える」ことです。それは、キリストから私どもに委ねられている使命です。教会は、主イエス・キリストから約束の聖霊を与えられて、宣べ伝え、信じる者に罪の赦しの宣言をなす「救いの権能」を与えられているのだということを覚えたいと思います。私どもには、神より、聖霊という仕方で「力」が与えられているのです。心を合わせて祈っている弟子たちに聖霊が降った、それが教会の始まりでした。聖霊を頂いているのが教会なのです。そしてそれは、今も変わらないことです。 25節「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう」と記されております。福音書に記されたこと以外にも、主イエスのなさったことはたくさんあったでしょうが、それを逐一書くことなどできないのです。 しかし、聖書には、それ以上のことも示されております。ヨハネによる福音書は1章において、主イエスを「初めから在す方、永遠なる方」と言い表しております。「永遠なる方」、その方のことを書き切ることなどできないのです。しかし、福音書という枠の中では「十分に主イエス・キリストを記している」このことは、「聖典としての枠」ということは重要であるということを示しております。無限なる方のことが有限な枠の中に収められている、そしてそれで十分だとされていることの恵みを覚えなければなりません。 聖書においては、無限なる方が「わたしを知るために無限の言葉を理解せよ」とは言われないのです。無限なる方でありながら、有限を取ってくださったのです。何故でしょうか。それは、私どもが有限だからです。ここに神のあり方が示されております。聖書が閉じられていることは、神の恵みなのです。神は私どもに対して「わたしと同じ者になれ」とは言っておられない。そうではなくて、有限な私どもの所にまで降りて来て、語ってくださっているのです。だからこそ、私どもは、神を、主イエス・キリストを知ることができるのです。 神が低くなってくださったこと、それは「神の愛」です。神が有限の形をとって語ってくださるのです。それによって、私どもを神との交わりに生きる者としてくださっているのです。 私どもは、神の如くになるのではありません。人の在り方をご自分のものとしてくださった神を知り、高ぶる者ではなく「低き者として生きる」ということです。 |
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